花の話

他愛ない会話に興じていた天草の目線が、ふと、私に留まる。……いや、正解には私にではなく私の向こう側に注がれていた。流れるような言葉は止み、沈黙が訪れた。

先ほどまで浮かべていた笑みも消え、今は眉を寄せて何かをじっと考えているような顔をしている。天草がこんな顔をしているのを、私が見ることは滅多にない。

天草の見ているものに少し興味がわいて振り返ってみた。

開けっ放しの窓、かすかに揺れるカーテン。そして、

「…花?」

花瓶があった。そこにいくつか、薄い紅色の花が挿してある。そういえば今朝、使用人の誰かが差し替えていたのを見た。よく見る花だけど、名前は知らない。きっとごくありふれた花なのだろう。

もしかして天草は、この花を見ているのだろうか。

「花が、どうかしたの?」

「…………あ、いえ。何でもないですよ」

「本当に?」

「ええ、本当に」

「………………」

私が訝しんでいるのに気付いたのか、天草はひらひらと手を振りながらいつものように笑ってみせた。

それがどことなく白々しく見える。

「何よそれ。そんなのではぐらかしているつもりなの?」

「へっはは…、こりゃあ参ったな。でも本当に何でもないんですって」

「…ただ、ね。少し昔を思い出していたんですよ」

そう言って、天草は笑う。少し寂しそうに。

天草にも、何か忘れたくない大切な思い出があるのかもしれない。私の、髪飾りのように。いつまでも忘れてしまいたくないくらいに、大切な。

「……綺麗な花ね。天草の昔とやらもこの花くらいに綺麗なものだったんでしょうね」

「ええ、そりゃあもう。くっくっく……今の俺が当時の俺を見たらぶん殴ってやりたくなるくらいには」

「………………そう」

無遠慮にその“昔”を根掘り葉掘り聞き出したい好奇心もある。でも、誰にだって触れられたくないもののひとつやふたつはある。おそらく今がそれなのだろう。私は出掛かった言葉を飲み込んで、再び天草に目を向けた。

「ねぇ天草」

「はい、何でしょう」

「この花の名前、何て言うのかしら?」

「……、」

私、知らないから。ちょっと覚えておこうと思って。

断られるかと思ったが、意外にも天草の返事は軽かった。

天草はわざとらしく咳払いをし、やけに真面目な表情を作って人差し指を立てた。

「いいですかお嬢。本当に一度しか言いませんからね? 聞き返したってもう何も言いませんからね?」

「はいはい、分かってるわよ」

何度も念を押してくる天草に投げやりに答えつつ、思う。

たぶん。これから私は、あの花を見る度に天草のことを思い出すのだろう。それから、彼の抱えている“昔”のことも。

……いつか、話してくれるだろうか。そんな時が、いつかくるだろうか。その時がもしくるならば、きっと。

私が許そう。

彼の罪も、全部。ぜんぶ。

思いながら、私はゆっくり瞳を閉じた。

「この花の名前は……」

そして天草は、噛み締めるようにその花の名を口にした。