「はい、お嬢。コーヒー」
差し出されたカップを受け取り口を付ける。天草の入れるコーヒーはいつだって苦い。…確か、何だっけ。以前小此木の旦那に、社長好みの味とやらをずいぶん教え込まれたもんでして……云々かんぬん。もう伯母さんに解雇されたってのに未だに抜けないのね、この癖。
受け取った濃いめのコーヒーを一口飲んでから、黙って角砂糖をいくつかカップに入れた。…と、それを目敏く見つけた天草に素早く指摘されてしまった。
「あれ、もしかしてお口に合わなかったですか?」
「……別に。たまには甘くしてみたかっただけよ」
「またまたぁ……そんなこと言って。実はお嬢、ブラック飲めないんでしょう? 見かけによらず案外お子様なんですねぇ」
「ちっ、違うわよ! 今日はブラックな気分じゃなかっただけよ!それだけっ!」
「……へへっ。ま、そういうことにしときますか」
天草がソファーに座り込む。その振動で、水面にゆらゆらと波紋が出来た。カップを覗き込んだ私の顔もゆらゆらと揺れる。その顔に突き刺すようにスプーンを乱暴に突っ込んで乱暴に掻き回した。ぐるぐると水面が渦巻き、そして私の顔がいなくなった。
再び口を付けてみる。…………まだ苦い。もう少し砂糖を加えようかと思ったけれど、先程のやりとりを思い出して、慌てて伸ばしかけた腕を引っ込めた。
隣では天草が同じようにコーヒーを飲んでいる。まるで水でも飲むかのように、ぐいと勢いよくカップを傾けていた。…苦い飲み物をよくもまああんな平気な顔をして飲めるものだ。あれじゃ胃袋が可哀想だわ。
「あれ? お嬢、まだ飲まないんですかい?」
早々にコーヒーを飲み干した天草は、暇を持て余したのか、私の手元を覗き込んで問い掛けてきた。
「………悪かったわね、猫舌なのよ」
「へぇ…?」
「な、何よ……」
「別に、苦いのなら砂糖を足してもいいんですぜ? 俺ぁもう茶化しませんので」
はい、どうぞとご丁寧にも角砂糖の瓶まで差し出してくる始末。だが、ここまでされると余計に砂糖を取りづらくなる。天草もそれが分かっているようで、にやにやとこちらの反応を窺っていた。
こいつのこういうところが食えなくて、非常にやりづらい。
葛藤の末に、私はコーヒーよりも自分の意地を選んだ。
「いい、いらない」
「あ、そうですか? これはこれは失礼いたしました」
私の答えに、天草はわざとらしく謝って、瓶を遠ざける。
……コイツ、
「……嫌なヤツ」
「ハイ?」
「別に!」
天草の真似をしてコーヒーを飲み干そうとしたけど、途中で咳き込んでしまう。カップの半分しか飲んでいないのに、……胸焼けを起こしそう。
うずくまる私の背中をさする天草の腕を避ける気力すらなく、落ち着くまで、私はされるがままだった。
私は結局、天草の入れたコーヒーを全部飲めずに、残してしまった。
気を悪くしただろうかとカップを片付ける天草をちらりと見たが、別段落ち込んだ風もなく、鼻歌混じりに作業をしていた。
目が合うと、へらりといつもの軽薄そうな笑みを浮かべた。
「お嬢にあの味はまだ早かったみたいですねぇ……また今度、挑戦してみます?」
「…だいたい、苦すぎるのよ。あんたの入れるコーヒーは」
「ヒャハッ、じゃあ今度はお嬢好みの味になるよう努力しますわ」
……なんだ、案外平気そうじゃない。
遠ざかる背中を見つめながら、脱力。ソファーに身体を預ける。
「あ、お嬢」
ドアノブに手を掛けようとした天草がくるりと首だけ動かして振り向いた。
目線を上げて続きを促すと、天草はあのにやにやとした笑みを浮かべた。
ああ…なんだか嫌な予感がするわ。
「お詫びと言っちゃあなんですが、いいことを教えてあげますよ」
「……何」
「何かのドラマで聞いた話ですがね…。コーヒー1杯分のカロリーは約5キロカロリー、…約10分間のキスで消費するカロリーに相当するんですって。……それでさっきのコーヒー分のカロリー、チャラにしてみます?」
「だ、誰があんたなんかと! 馬鹿…バカ草ッ!!」
「ヒャハハ、冗談ですよ」
手近にあったクッションを思い切り投げつけたが、それが当たる前に天草は素早くドアの向こう側へと消えていった。
顔が熱いのが分かる。……最後の最後で、してやられたわ………。
「あ…あんたの入れるコーヒーなんて、もう二度と飲んでやらないんだから!」
ドアに向かって叫ぶ。
その向こう側で、天草がくすりと笑った気がした。
