過去の話

どうして私が。

いつしかそれが伯母の口癖になっていた。それを口にするときは少なくともいつもの醜悪な顔つきではなく、例えるなら、秀吉さんと譲治お兄ちゃんのお葬式の時に見た、私の記憶では伯母の見せる唯一の人間らしい表情であった。だけど、時折見せるひどく弱々しい横顔にも、幼い私は、結局憎悪という感情をぶつけることしか出来なかった。もしあの時に私が私の役目に気づいていれば、何かは変わっていたのだろうか。

周囲の偏った認識と同様に、私も伯母を目の敵だと信じきっていた。伯母を殺人犯としてしか見ていなかった私には、伯母の弱さも、涙も、見えはしなかった。伯母が家族を想いどれだけ涙したか。周囲やマスコミの視線にどれだけ心を押し潰されたか。同じ境遇にいた唯一の親族である私からも拒絶された伯母が、どれだけ悲しんだか。

今となってはどれもが開かずの猫箱の中。

私を何かで叱りつけている時の、伯母の顔を思い出す。ひどく醜い顔。でもきっと私も似たような顔で伯母を睨み付けていた。

どうして私が? それはこっちのセリフよ。

伯母が私を罵っている時、私はいつも心の中でひどい言葉を伯母に浴びせていた。でもどれだけ言葉を重ねても胸にどす黒い感情が渦巻くだけで、私の心が晴れることは遂になかった。

それから何年か経って、とうとう伯母は死んだ。やせ衰えた身体を起こしては最期まで私に罵詈雑言を浴びせ続け、捨て台詞を残して死んでいった伯母。彼女がいなくなったことに、私はやっと解放されたことを喜べるはずだった。けれど私はその事実を喜べないでいる。

どうしてかしら。傍らにいる護衛に聞くと、今まで口を閉ざして静かに耳を傾けていたその護衛は、意外にも答えを返してきた。

「それはですねお嬢、……愛ですぜ」

もったいつけたりなんかして、柄にもないことを言う。私の反応が面白くなかったようで、決まりの悪そうに帽子の鍔を下げてから、「小此木の旦那からの受け売りですがね」と付け足して護衛の男は部屋を出ていった。

静まり返った部屋の中でもう一度だけ、伯母の顔を思い出してみる。…死に際の、醜く歪んでしまったあの顔ではなく、お茶目な笑顔が似合っていたあの頃の伯母さんの顔を。

…前から、私は伯母さんが好きではなかった。今ではいっそう。嫌悪感すら覚える。

でも。

譲治お兄ちゃんや秀吉さんのことを話す時の彼女の瞳が優しかったように、私たちは確かに分かり合える部分もあったのだ。

長い長い12年の日々を互いに憎しみ合うことにしか費やさなかった私たちにとっては、もう、何もかもが遅いのかもしれないけれど。