「翠くん」
最近、そう呼ばれることが増えてきたなと、賑やかな声のする方へと顔を上げた。別に、相手からどう呼ばれたいとか、そういうこだわりは特にないので、名前で呼んでもいいかと聞かれれば大抵は頷くのだが。その中でも特に彼はこちら側へと踏み込んでくるのが早かったことは覚えている。
「今日は鉄くんお休みでしょ? 翠くんって鉄くんが引っ張ってこないとすぐ隅っこで蹲るタイプじゃん? だから今日は俺とペア組もうよ。」
葵くんはこちらが返事をする前にぐいぐいと腕を引いて輪に引き込もうとする。その強引さに毎日嫌というほどに顔を合わせる非常にお節介焼きな人物が頭をよぎり顔をしかめてしまったが、彼の言う通り、鉄虎くんがいないとペアを組む相手がいなくなるのも事実なので気は進まないが大人しくついていくことにした。
「……あんまり話したことないのに、よく見てるね。」
「俺はこう見えてもお兄ちゃんだからね! 手のかかる弟の扱いはお任せあれ!」
「別にどうも見えてないけど……。弟でもねえし……。」
そこではたと、彼はこのクラスで特定の誰かとペアを組んでいるところを見たことがないことに気がついた。
「葵くん……って、いつも休み時間になるとすぐ教室からいなくなるから、こういう、誰かと一緒に仲良くするの好きじゃないのかな……って思ってた。……から、俺なんかのことも気にかけてたのが、ちょっと意外、かも……。」
思わずそう言うと、葵くんはぱちぱちと、ゆっくりと瞬きをした。よく顔が整っている分黙ると怖いと言われるが、おしゃべりな人間が急に黙るのもそこそこ怖いものだと心の中で静かに反論した。
「翠くんも結構周りのことをよく見てるよね」
そうなのだろうか。おしゃべりな割には自分の身の上話はほとんどしない(口を開くと主に別のクラスにいる双子の弟の話題ばかりだ)彼のことを、俺はまだよく知らない。彼が今何を考えて俺の腕を引いて歩いているのか、分からないことが怖い。こういう時に鉄虎くんがいてくれるとすごく助かるのだけれど。
初めてのペアで行なった柔軟運動は、いつもと違う相手への力加減を考えながらもたもたしている間にこちらの手助けなくぺたりと身体を前へ倒した葵くんの身体の柔らかさに終始驚いていた。その反応を面白がった葵くんがじゃあこんなのも、と見てるこっちが痛くなるような体勢をして情けない声も上げたような気もする。変な姿勢のままひとしきり笑った葵くんと交代する時に、小声でそっと囁かれた。
「鉄くん、早く良くなるといいね」
その言葉に俺はなんと返したのか。考える間もなく全体重で遠慮なく押さえつけられてしまい、柔軟性のない俺の怠惰な身体が悲鳴を上げた。今までぐるぐると考えていたことが全て弾けて消えてしまった。
