リテイク

ルークの成長は目覚ましいものであった。言葉を覚え、文字を覚え、歩くこと、食べること、遊ぶこと、怒ることや泣くこと……とにかく新しいことをどんどん覚えていった。

以前のルークに比べればまだ幼さが目立つものの、これがつい数ヶ月前まで、赤ん坊のように呼吸と生理的欲求を求め泣くことを繰り返すだけで自分では何も出来なかったあのルークとは思えないほどの成長ぶりだ。

………いや、これは成長なんかじゃなくて。ルークがかつての自分を取り戻している、その単なる過程に過ぎないのだろうか。

庭を、ナタリア姫と一緒に、うれしそうに駆け回るルークを見遣る。

少なくとも、以前のルークから見受けられた影や枷のようなものは、あのルークからは感じられない。まるで別人だと思えてしまうくらいに、全く。

公爵や何人かの使用人たちは、変わり果てたルークに絶望しているようだが、俺はむしろ、

「ルーク様があのように思い切り笑うお姿を見るのは、…いやはや、初めてですなあ」

「…ペール」

シャベルを片手に腰を上げたペールは、土だらけの顔のまま、ルークを見ていた。その瞳は、何処か優しい。

敵地にいるというのに、一族の仇がすぐ近くにいるというのに、どうしてペールはそんな瞳が出来るのか。だが、以前のペールは一体どのような目をしていたのだろう。思い出そうとしても、それはすぐに霧散してしまった。…ただ、以前のペールはこんな笑みを浮かべてはいなかったのだけは、覚えている。

この屋敷へ来て、何が、ペールを変えたのだろう。

少しの沈黙、「ナタリア、まってよー!」無邪気な子供の笑い声だけが、敷地の中に響き渡る。

「…なあペール。あいつの、記憶喪失ってのは、どう思う?」

「あれが演技だとは私は思えません。ルーク様は、お気の毒だとは思いますが、本当に不幸な事件に巻き込まれてしまっただけかと」

「………今のあいつを殺しても、公爵はきっと何とも思わないんだろうな」

「ほっほっほ。まあ、そうでしょうな。公爵様の理想に応えるルーク様はもう、いらっしゃらないですから」

「……それは、俺に、復讐を諦めろって言いたいのか」

ペールはそこで一旦間を置いてから、俺に向き直った。ルークを見ている時と同じ瞳で、俺を見据える。

「…ガイラルディア様。私は、本当はあなたの手を復讐の血で汚してしまいたくはないのです。ガイラルディア様だって、まだ幼い。その小さな背中に、私は一族の憎しみを背負わせたくはないのです。ですから、出来れば、あのルーク様のように、何にも囚われることなく笑っていて欲しいと、私は願うのでございます」

「……俺には、無理だ。きっともう、昔みたいには戻れない。……それと、今の俺はガイだ。気をつけろ」

「…そうでしたな、ガイ。でも、あなたにはまだやり直せる時間があります。だから、ルーク様が記憶を取り戻すまででいいですから。……もう一度だけ、考え直してはくれませぬか」

「………………………」

俯くペールの横を軽快に通り過ぎて、ルークがぶつかるように駆け込んできた。その衝撃に足をよろめかせながら、俺はルークを受け止めた。

見上げてきたルークの、何も知らない無邪気な笑顔が、眩しくて。思わず目を細めた。

「ガイー、ナタリア帰っちゃったよ? ……………ガイ?」

「あ、ああ……なんだ、ルーク」

「あのね、いっしょにあそぼ!」

「……っ、」

本当に、お前は何も知らないのか。どうして、そう笑っていられるのか。

……だって、俺は、お前を、

「……ほら、ガイ。遊んでおやりなさい。それと、もう日も暮れてしまうからそろそろ部屋に戻られた方がよろしいでしょうな」

「…そう、だな。………ルーク、じゃあ部屋に戻ってトランプでもするか」

「えー、ごほんがいい! ガイよんでー!!」

「はいはい。分かりましたよルーク様」

頷いてやると、腰にしがみついていた腕がするりと離れる。ルークは早速数歩前を行ってから、はやくはやくー、とこちらを振り返り手を振っていた。

「やれやれ、わがままご主人には困ったものだ。こっちが考える隙も与えてくれやしない」

「ほっほ、全くですなぁ」

「ガイー、はーやーくー!」

「おー、今行く!」

こちらも手を振り返してから、ルークの元へ。

当たり前のように差し出された小さな手を、少し躊躇ってからぎこちなく握った。ルークはそんなことお構い無しにぐっと力一杯握り返してから、ぶんぶんと振り回す。

「おーてーてー、つーないでー!」

「おいおい、はしゃぎすぎて転ぶなよー」

「うん!」

ああ、こんな風に笑えたなら。

きっと、幸せなんだろうな。

…果たして俺は、復讐の為に、またお前を憎むことが出来るだろうか。

(…………出来ないだろうな、きっと)

ルークの笑顔に釣られたのか、いつの間にか笑っていた自分に気づく。俺よりも少し体温の高いルークの手のひらが、頑なな心を溶かしていくようだ。

そのぬくもりを確かに感じながら。今度は、繋がれた小さな手をしっかりと握り返した。